うふふな夫婦04
夫婦の信頼が深まったのは、不妊治療があったから。
とことん向き合い、話し合うことの大切さを聞きました。
東野 唯史さん
あずの・ただふみ/1984年生まれ。名古屋市立大学芸術工学部卒。空間デザインの会社に勤務後、2010年に世界一周の旅へ。帰国後、2011年よりフリーランスのデザイナーとして活動開始。2014年より華南子さんとともにデザインと施工をおこなう「medicala」を設立。2016年、長野県諏訪市に古材と古道具を扱う「Rebuilding Center Japan」を立ち上げる。
東野 華南子さん
あずの・かなこ/1986年埼玉生まれ。北京、上海、ロンドン、東京で育つ。中央大学文学部卒業。カフェで店長の経験、ゲストハウスでの女将経験を経て、2014年から「medicala」として活動スタート。2016年、唯史さんと「Rebuilding Center Japan」を設立。

結婚して数年が経つと、「まだ子どもはつくらないの?」と度々聞かれます。
そのたびに、どう答えたらいいのか、どこまで伝えたらいいのか、悩んでしまいます。

子どもを望むか、望まないか。
夫婦にとって、とても大きな問いです。
そんな問いに向き合い続けてきた、東野唯史さん・華南子さんにお話を伺いました。

東野夫妻のはじまり

二人の出会いは、なんとTwitter。
2011年、華南子さんがボリビアへ一人旅する際に、唯史さんに連絡したことがきっかけでした。

華南子さん ボリビアとペルーの陸路での行き方を調べていたときに、東野さんが世界一周していたときのブログを思い出して、Twitterで質問したんです。

帰国後、華南子さんは無事にボリビアへ行けた報告とお礼を唯史さんに伝えると、偶然にも二人ともゲストハウス「toco.(トコ)」に行くタイミングが重なり、対面!

唯史さん そのころ週2〜3日で「toco.」のバーに飲みに行っていて。と言ってもお酒は飲めないからコーラとかだったけど、華南子とも一緒に飲むようになって仲良くなりました。

半年ほどして付き合いはじめ、華南子さんは「toco.」に転職、唯史さんはフリーランスのデザイナーとして独立。

そして2014年に結婚後、二人は「medicala(メヂカラ)」というユニットを結成し、空間プロデュースの仕事をはじめます。

「medicala」では長野県下諏訪町のゲストハウス「マスヤゲストハウス」や、山口県萩市の美容院「kilico」、大分県竹田市のレストラン「Osteria e Bar RecaD」など、さまざまな地域で空間づくりをしてきました。

2016年には長野県諏訪市に、古材と古道具を扱う「Rebuilding Center Japan(通称リビセン)」を設立。解体する建物から古材と古道具を回収し、販売しています。


リビセンで販売されている古材と古道具。「medicala」では古材を活用した空間づくりをおこなっています。

「子どもがほしい」と思うことすら怖かった

仕事が順調に進んでいく一方で、二人にはある悩みがありました。それが、不妊治療。

20代のときから、華南子さんは不妊治療に通っていたそう。

華南子さん 「toco.」で働いていたときに出会った友人が、不妊治療していたんです。その人からいろいろ話を聞いていて、「子どもって簡単にできるものじゃないんだな〜」って思っていました。

その人が「子どもをつくるなら早いほうがいいよ」というのを教えてくれていたから、結婚して一年後くらいに、不妊治療を受ける人向けの講習会に行きました。

不妊治療は定期的に病院に通う必要がありますが、当時の二人は「medicala」の仕事で施工現場の地域に住みながらつくり上げていたため、なかなか病院に行けなかったそう。全国を転々とし、自宅のある諏訪市には年間50日ほどしかいなかったとか。

合間を縫って病院に行っても、待ち時間が苦しかったと言います。

華南子さん 待合室に100人くらいいるのに、何もコミュニケーションをとらない空間にいるのがすごくきつくて、待ち時間も長いし、2〜3回通ってやめてしまいました…。

仕事が楽しい時期になぜ子どもをつくるんだ、みたいな思いもあって。とにかく働きたいし、でも子どもは早いほうがいいのはわかるし、でも働くと定期的に病院に通うことはできなくて…っていう葛藤がずっとありました。

子どもはほしいけど、働きたい。そんな葛藤が4年ほど続いたと言います。

華南子さん 本格的に不妊治療をするって決めるまでがつらかったです。不妊治療でつらい思いをしている人たちをたくさん見てきたし…。

「絶対子どもがほしい」って思った瞬間、叶わない可能性も同時に生まれてしまうから、「ほしい」って願うことすら怖かった。

叶わなかった場合を想定して、「子どもがほしい」と思うことすら決められなかったという華南子さん。

一方の唯史さんは、「そのうち(子どもが)できるだろう」と楽観的にとらえていたそう。

唯史さん 「そのうちできるだろう」と思っていたのはたぶん、15歳下の弟がいるんですけど、母親は42歳で生んでいて、不妊治療とかしていないはずだから、女の人って40代でも妊娠できるだろうって思っちゃってて。当時、華南子は30歳くらいだったし、今そんなにがんばらなくても大丈夫だろうって思っていました。

まわりにも30代後半で妊娠した人たちがいて、「あの人は35歳でできたな」って情報だけ入ってきて「自分たちはまだ大丈夫だ」ってそんなに危機感がなかったけど、その人はじつは不妊治療していたとか表には見えていなかった情報が少しずつ入ってきて、考えが変わっていきました。

たくさん話し合い、喧嘩もたくさんしたという二人。

華南子さん 「不妊治療で大変なのは華南子だから、華南子が決めればいい」っていう、最終決断を委ねられてしまうことが本当に辛くて。「大変だから強要したくない」っていう気持ちはわかるんだけど、でも、二人のことなのに!って。

最後に大喧嘩したとき、東野さんが「サポートするからがんばってほしい」と言ってくれたから、不妊治療するぞって決められました。そうやってちゃんと話ができたのはよかったです。

主に治療は女性が受けることが多いですが、男性側のサポートも必要。そのためにも、夫婦で足並みをそろえることが大切だと感じました。

癌を乗り越えて、不妊治療へ


リビセンをはじめて2年が経ち、仕事が落ち着いてきたことも不妊治療を本格的にはじめるきっかけのひとつに。

そんな矢先、華南子さんに癌が発覚。
ある日突然「婦人科!」と思い立ち、病院で検査をしたところ、子宮頸癌が見つかったそう。すぐに手術し、無事に癌は切除できました。

その後の診察時に、華南子さんは唯史さんと話し合いをしたものの、それでもまだ不妊治療に踏み切れないでいましたが、医師からの言葉に背中を押されたと言います。

華南子さん 先生に「今が一番若いから、今が一番努力が報われるときよ」って言われて。それがすごくしっくりきたんです。

「今から2年って決めて、2年だけ頑張ってみたら?それでやめても35歳でしょ。35歳で不妊治療はじめるのと、今からやったのでは全然結果がちがうから。2年だけって決めてやってみたら?」って。

その前に、別の先生と話していたときは「まだ働きたいし不妊治療は必要ないかな〜」って言ったら「そんな中途半端なことを言う患者は看ないぞ!」ってすごく怒られて…。怖かった〜。なんであのとき東野さん一緒にいなかったんだろう?

唯史さん 俺は待合室にいたんだよね。

華南子さん そうそう、東野さんを診察室に連れて行かなかったのは、私が東野さんのことを信頼しきれていないからだって思ったんだよね。この人はちゃんと真剣に先生と向き合ってくれないんじゃないか、私が決めなきゃ、私が背負わないとって。

そのことに診察室で気づいて、東野さんを本当の意味で信頼できていなかったことが悲しかったし、これはもっとちゃんと踏み込まないといけないと思って、そのあとしっかり話をしました。

華南子さんはなぜいま自分が悲しいと感じているのか、感情を丁寧に整理して、それをしっかりと唯史さんに伝える、という作業を何度も重ねているのが印象的でした。

「わからない」は不信感を募らせ、理解は信頼を深める。
自分の考えをとことん伝え合うことで、二人の間により強い信頼が生まれたのだと思います。

ストレスの多い不妊治療を、楽しいものに変換

二人が通っていた病院は待ち時間が長く、2〜3時間待つことも。そこで、早めの予約をとることが唯史さんの任務に。

唯史さん 予約は朝6時からオンラインで受け付けているんだけど、スタートから5秒くらい遅れると30番とかになっちゃう。慣れてくるとだんだん上手になって、2番とか一桁の予約がとれるようになった(笑)診察は何もできないけど、予約ならがんばれるからね。

病院へは卵子が育っているか確認するために、生理が終わったころ、その一週間後、そのまた3日後…と、何度も行く必要があります。予約も通院も大変だったようですが、「東野さんも一緒に行ってくれることになったから、一人だとがんばれないけど二人ならがんばれた」と華南子さん。

診察を待っているあいだは、病院の6階にある、諏訪湖が見える待合室で仕事をしていたそう。

唯史さん 順番待ちの人が誰でも使えるんだけど、いつも空いているからパソコンとコーヒーを持って行って、仕事していました。けっこう快適で、逆に「もう診察の時間が来っちゃった!」ということもありましたね(笑)

「とにかく仕事が楽しい、仕事をしたい」という二人。

華南子さん ただ待合室で待っていたときは、非生産的な時間を過ごしている自分に対してがっかりな気持ちが溜まっていたけど、それがなくなってからは楽しく通えました。あとになって、時間が無駄になるストレスが大きかったんだなって気づきました。帰りはおいしいお菓子を買うか、おいしいごはん食べるかして、楽しかったよね。

過ごし方ひとつで、不快な時間も快適な時間に変えていける。二人はどんなことも楽しめる達人のようです。

スムーズに見える妊娠の影で

不妊治療に通いはじめて半年ほどが経った2019年2月、妊娠が発覚。

華南子さん ある日、吐き気がしてトイレに駆け込んで、そういえば生理が来てないことに気づいて、漫画みたいに「これってもしかして…!」って。東野さんに妊娠検査薬を買ってきてもらったね。

唯史さん うん、初めて買った。

華南子さん それまでに私は10〜20本試していたけどね。そのストレスもあって、東野さんが知らないところで私は10〜20試合も負けているの。女の人は妊娠検査薬を試すとき、みんな一人でドキドキして、一人でがっかりして…を繰り返すからつらいんだよね。

インタビュー時(2019年8月)は妊娠9ヶ月目だった華南子さん。2019年10月に無事に出産されました!

不妊治療をはじめて半年で妊娠、というとスムーズに見えますが、「それまでが長かったし、つらかった」と華南子さん。

ときには「子どもはいいよ〜、つくらないの?」という、悪意のない問いかけに傷ついたことも。こうした質問を「妊活鉄砲」と命名し、どう答えるのがベストなのか考えたそう。

唯史さん 自分たちが傷つかないように断りつつ、でも子どもはほしいって思っていることを伝えつつ、あわよくばそれを聞いちゃって「しまった!」っていう罪悪感も軽やかに植え付けたい、というのがあって(笑)

考えた結果、「私たちもほしいと思って頑張ってるんですけどねー。できるように祈っててください」が僕らの模範解答です。相手によっては、なるべく不妊治療をしていることを言おうと思いました。

はじめは「妊活鉄砲」で華南子さんが傷ついていることに気づかなかった唯史さんですが、「私はあの質問で傷つきました」と伝えることからはじめたそう。

華南子さん 東野さんとそういうやりとりを通して、「それは傷つくんだ」とか「それは言ってほしくないんだ」っていう価値観がそろってきました。たとえば私は友達から妊娠したと聞いたら悲しくなることもあったけど、東野さんはなかったと思う。

ちがう人間だから、何が悲しいとか嬉しいとか感じるかはちがう。東野さんは別の生き物だから、話が通じるって思っちゃだめだって改めて思いました。こっちが何を考えていて、何をしてほしいと思っているかは、ちゃんと言わないとだめだなって。

なんでもオープンに話すことが、東野夫婦の約束。リビセンの社訓も「素直が一番」なんだとか。

華南子さん お互いに話し続けることができたのはよかったですね。理解が離れると溝ができちゃうし、言っても伝わらないなら5倍増しで伝えて、ちゃんと理解してもらう努力は大事だと思う。

私たちなんて家でも会社でも24時間ほぼ一緒にいるのに、それでも伝わらないしわからないから、とにかく話すようにしています。

唯史さん 妊活・不妊治療をテーマにした漫画『妊活夫婦』を読んだのも大きかったです。漫画だからわかりやすいし、けっこう情報もあったし。男として生きているとその手の情報に触れることがないから勉強になりました。

妊娠の様子がリアルタイムでわかるアプリ「トツキトオカ」で、唯史さんも赤ちゃんの成長を実感。

最近では、友人にも不妊検査を勧めているという華南子さん。

華南子さん 30歳前後になると結婚とか出産とか悩む人が多いけど、採血だけで調べられることもあるから、「悩んでいるならとりあえず検査してみたら?」って。とりあえず検査だけでもして、その結果次第でどう生きていくかライフプランが考えられるし。

なかには無排卵って言われたけど妊娠した、っていう友達もいるから、何がどうなるかわからない不確定要素の多い世界に飛び込むのってすごいストレスだけど、子どもがいてもいなくても幸せだなって思えれば楽になるはず。

私、「必要なことしか起きない」っていうのが確信としてあって。今まで赤ちゃんができなかったことも必要なことだったというか。たまたま妊娠することになったけど、たとえできなかったとしても、子どもがいないことが、私たちにとって必要なことなんだろうな、という気持ちの整理をつけられたから、不妊治療に前向きに取り組めるようになった気がします。

ちゃんと必要なことが起きるように一生懸命仕事して、神様に味方になってもらえるようにがんばる。それしかできないなって思います。

つらかった出来事でも、あとになって振り返ってみると「いまにつながっている、意味のあることだったんだな」と思うことが何度かあります。

単なる意味付けかもしれないけれど、捉え方次第でオセロのようにつらい過去を楽しい未来にひっくり返すことができたら、より前向きになれるはず。

華南子さんと唯史さんも、「無事に生まれてくるかわからない。生まれたあとも、どんな働き方になるかわからない。ただ向き合っていくしかない」と、まっすぐ前を見ていました。きっとこれからも、二人はその都度たくさん話して、楽しみを増やしながら進んでいくのだと思います。

(写真:寺島由里佳
(取材日:2019年8月)

最終更新日:2020年7月24日
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