うふふな夫婦05
会社を辞めて、家族中心の暮らしへ。
夫婦で子育てに専念して、見えてきたこととは?
福岡達也さん
ふくおか・たつや/1989年神奈川県生まれ。妻と二人で活動する際の屋号は「旅する暮らし舎」。妻と1歳半の息子とともに、2020年6月に横浜市のシェアハウスから千葉県鴨川市へ移住。パーマカルチャー、半農半Xの生活をスタートする。
福岡 梓さん
ふくおか・あずさ/1977年東京都生まれ。学生期は日テレベレーザでサッカー選手として活躍。大学卒業後はテレビCMや映画などのマスコミ業界に長年携わる。2014年、ハワイ島で出合ったパーマカルチャーの世界に魅了され、帰国後に自身の活動を開始。子ども向けのパーマカルチャー本『みんなの地球カタログ』の文章を担当。

”育児休暇を取ることになりました。
業務から離れ、2月から主夫に専念します。

子供にとって必要なのは、何よりも愛と時間。
この世界に愛されているという感覚を、
彼と一緒に育んでいきたいと思います。”

子どもの出産を機に、仕事を辞め、子育てに専念することにした福岡達也さん。
Facebookに投稿されたこの宣言は、「自分の人生を生きていく」という強い覚悟を感じました。

12歳差の電撃婚、パーマカルチャーの学び、千葉県鴨川市への移住…。
家族でどんな暮らしをしていきたいか考え、実践している様子を伺いました。

仕事を辞めて、家族中心の暮らしへ

二人が出会ったのは、神奈川県横浜市にあるシェアハウス。
2015年の春、同時期に入居したそう。そのときのお互いの印象は?

達也さん 梓は僕より12歳上だから「年上のお姉さん」という感じで(笑)何を話していいかわからないというか、ちょっと距離感がつかめない感じでした。いまは年齢差はまったく気にしていないけど、そのときはお互いに恋愛対象になるとは全く考えていませんでしたね。

その後、シェアハウスで食事をする時間がよく重なり、一緒に食べる機会が増えたことで、何でも話せる仲になっていったそう。
そして付き合いはじめてからは、半年ほどで結婚することに。

達也さん 結婚するまでは早かったね。特に梓は子どもや家族をほしがっていたから、それも大きかったかな。


結婚パーティの様子。服は自分たちで藍染めしたそう。

2016年の元旦に結婚後も、同じシェアハウスに暮らし続けた二人。基本的な生活は変わらないものの、達也さんは結婚を機に転職をします。

達也さん ゆくゆくはタイニーハウスで暮らしたいと思い描いていました。それで前の仕事を辞めて、タイニーハウスを扱うベンチャー企業に転職したんです。が、そこでの業務は新規店舗の立ち上げ時期だったので、想像以上にハードワークでした…。

これでは僕らが求めていた暮らし、特に生まれて間もない息子を育てる環境として厳しいと思って、1年足らずでその会社も辞めて、家族中心の生活が始まりました。

11月に長男・多羅(たら)くんが生まれ、育児のため翌年2月に会社を退職した達也さん。
収入が止まることに不安はなかったのでしょうか?

達也さん もちろん不安はあったけど、二人で描いたゴールに向かっている感覚のほうが大切かなって。自分の人生は、自分で背負いたいなって思ったんですよね。

一方、梓さんは達也さんへの信頼をこう語ります。

梓さん 私のまわりで離婚したカップルに理由を聞くと、「育児が大変なときに旦那が手伝ってくれなかった」という人が多かったんです。じゃあたくさん助けられたらどうなるんだろうと思って(笑)、多羅が生まれたとき、達也くんの仕事が大変そうなのもあって「一回お休みしたら?」って提案したんだよね。「一緒に子育てしよう」って。

そのとき達也くんは30歳で、一般的には働き盛りの年齢だし、そんなときに子育てしてていいのかって思うかもしれないけど…。でもこの人は何歳になってもいい仕事ができると私は思ったから、いまそんながんばらなくてもいいんじゃないかな、力を貯めておいてもいいんじゃないかな、と思ったの。いま働かなくても、未来が暗くなるわけじゃないっていう考えがあったんです。

実際にこの一年半、育児に専念してみての感想は?

達也さん 世間的には「育児は女性が多くの時間を費やすべき」という風潮があるけど、僕らの場合は父親も母親もどっちがやってもいいこともあるし、逆転していることもあるし、そういったことを一からつくっていくには時間がすごくかかります。

でも、それに時間をかけることには価値があると思いますね。もちろん大変だけど、僕も梓も「家族」を通して成長したなっていう感覚があります。

「世間知らずのお兄さん」から「頼りがいのあるお父さん」へ

お互いに成長していったなかで、夫婦の関係の変化はあったのでしょうか。

達也さん 梓とは喧嘩したりぶつかることも多くて、その都度「二人で向かっていくためには何が本当に必要なんだろう?」って深く内省していくうちに、かけがえのない存在に…って言うとありきたりだけど、絆が深まっていきましたね。分厚い信頼のなかで喧嘩している感じがあります。本気でちゃんと喧嘩できるようになってきたというか。

この一年、僕はほとんど仕事をしていないんですよ。家族につきっきり。それもどうかと思うけど、十分すぎるくらい満たされています。とはいえ、家族に対して美化されたイメージはそんなになくて、「家族は問題を抱えていて当然」くらいに考えています。

その背景には、梓さんの家族のことが影響しているようです。

梓さん 私は家族のことがいろいろややこしくて、弁護士と話さないといけないこととかもあって。でも私は感情的になってしまうからうまくできなかったりするんだけど、達也くんは上手にまとめてくれるんだよね。当事者の私でも目を背けたくなることも、ちゃんと向き合ってくれて。だから、結婚当初からすごく頼もしいなと思っていました。

12歳差あるけど、年の差ではなく、彼がそういう人格なんだろうなと思います。多羅が生まれてからは、それがより一層深まった気がしますね。

結婚後、まわりから「顔つきがしっかりしてきた」と言われているという達也さん。確かに、私から見てもこの数年で随分と雰囲気が変わったのがわかります。

梓さん 結婚した当初は「世間知らずのお兄さん」という感じだったけど、本当に頼りがいのあるお父さんになったなと思います。

達也さん 仕事も家族も、大変だったんですよ、ここ数年…(笑)

梓さん 鍛えられたよね(笑)こうして私たちが幸せでのんびり暮らせるのは、達也くんのおかげだね。

特に多羅くんが生まれてからの一年半は、とても濃厚な日々だったのだろうな、と伝わってきます。

導かれるように鴨川市へ移住

2020年6月、千葉県の鴨川市に移り住んだ3人。
それまでに一年かけていろいろな地域を訪れ、住む場所を探していたそう。

達也さん もともと梓の夢だったんですけど、大きなフィールドを持って、そこで果樹や野菜を育てて、収穫したものをみんなで食べる。そんなことができる場所を探していました。それも、美しいって思える場所でやりたいなと思っていて。

「きれいだな、ここに住んだら健康になれるだろうな」と思えるような場所を探して、国内外をまわったとか。

そのなかでも特に、ハワイ島のパーマカルチャー(※)サイトから影響を受けたと言います。
(※)パーマカルチャー:パーマネント(永久な)とアグリカルチャ-(農業)あるいはカルチャー(文化)を組み合わせた造語。人と自然がいかし合いながら豊かな関係を築いていくための手法。


ハワイ島の「ジンジャーヒルファーム」にて。

達也さん そこはパーマカルチャーの研修施設としても開いているところで、オーナーの自宅や果樹園があって、何種類もの果樹を植えていて、すごくいい場所でした。

ハワイ島で訪れた「ジンジャーヒルファーム」は、小田まゆみさんという日本人の方がはじめた場所なんですけど、日本画家でありながら平和活動家でもあって、『きままに やさしく いみなく うつくしく いきる』という絵本を出しているんですね。

最初はどうして「気ままに優しく意味なく美しく生きる」なんだろうって思っていたけど、僕の解釈では、自分の「こうあるべき」というのを全部はらっていった結果なのかなと思っていて。

「ただそこで美しく生きることができれば、それでいい」というメッセージに影響を受けました。とにかく美しくて、そこに行ったらそれだけで幸せでいられるようなところに住みたいなと思ったんです。

そんな思いを抱え、千葉県いすみ市でパーマカルチャーの研修を受けた帰り道、鴨川市にふらりと寄ったときのこと。「想像していたよりもずっときれいなところで驚いた」と振り返ります。

達也さん ここは棚田の村なんですよ。僕は大規模に保全されている棚田しか知らなかったんですが、ここの棚田は小さくてすごくきれいで。というのも、20年前からここで棚田オーナー制度などに取り組んでいる林良樹さんが、ほぼ一人で管理しているんです。

たぶん、かつて日本はそういう個人の棚田ばっかりだったと思うんですね。そう考えると、もともと日本はすごい美しかったんだろうなって直感的にわかって。それはある意味、美しいからやっていたにちがいない、と。もちろん食べるためでもあったんだけど、それだけじゃこんなにきれいにならないだろうなと思って、感銘を受けました。


棚田の風景

こうして鴨川市に住むことを決め、現在の住まいとも出合います。

達也さん 最初に来たときはこの家は空いてなかったんですけど、この村に住むならこの家がいいなと思っていました。そうしたらちょうど空き家になって、ご縁があってスムーズに住むことになりました。本当にラッキーですね。

築100年の家には念願の果樹園のほか、休耕田や竹林、牛小屋、蔵、倉庫もついているのだとか。ちなみに、お家賃は2万5000円(!)。

家のまわりは森に囲まれていて、「外界から遮断されている感じ」も気に入っているそう。


木々に囲まれたお家。

梓さんにもここでの暮らしについて聞いてみると、「いまは引っ越したばかりだから、シェアハウスに帰りたい」と寂しそうな様子。

梓さん シェアハウスには30人くらい住んでいて、にぎやかだったのでみんなが恋しいです。子育ての面でも、ほかにも子どもがいたから、多羅を「ちょっと見てくれる?」って頼めて助かりましたし。お風呂も「子どもたち入れるから一緒に入れようか?」って言ってもらったり、その積み重ねが本当によかったですね。


シェアハウスのみなさんと。

達也さん この前シェアハウスに帰ったとき、ごはんをつくる間、子どもを放っておいても大丈夫だったんです。誰かしら見ているから。子どもたちだけで絵を描いたりしていて。すごく子育てしやすい環境だったなと実感しましたね。それを手放してしまったけれど…(笑)

「本当にね〜!」と笑う梓さんに、鴨川市に移り住んでよかったことも聞いてみました。

梓さん ここに来てよかったのは、やっぱり自然がいっぱいあること。空気がおいしくて、鳥の声がいっぱい聞こえて…それしかないんだけど、それで十分。

私は東京で育って、田舎にあまり触れてこない人生だったから、こういう場所に憧れを持つと思うんだけど、多羅はどう感じるかわからない。でも、故郷がこういう場所でもいいじゃない、と思っています。

いまコロナウィルスで除菌とか注意されているけど、自然のなかで泥にまみれているのが一番健康的なんじゃないかな。

現在はそれぞれ、パーマカルチャーを取り入れた暮らしのほかにも挑戦したいことがあるそう。

梓さん シェアハウスに住んでいたとき、近所にあった「森のようちえん」に通っていて、子どもになんでもやらせてくれたんです。子どもがちょっと危ないところに行ったり、ちょっと危ないもの持っても、大人たちが見守ってくれる。そういう子育ての先輩たちのアドバイスが受けられたのもよかったです。ここでも森のようちえんをやりたいなと考えているところです。

人はコミュニティのなかにしか生きていけないと思っているので、早くコミュニティをつくりたいと思っています。

一方の達也さんは、20年前から鴨川に住み、棚田のオーナー制度などに取り組む林良樹さんと一緒に、あるプロジェクトを進行中とのこと。

達也さん 僕が暮らすこの集落は22世帯しかいないんだけど、いま空き家が増えていて、小さな集落で空き家が出るのは影響が大きいんですよ。そこで空き家を改装して、宿泊や仲間たちと使える拠点にしようかと運営を考えている最中です。


インタビューはオンラインにて行いました。犬のメリッサは保護犬だったのを引き取ったそう。「ニワトリとロバも飼いたい」のだとか。

思い描いていた理想を家族で実現すべく、暮らしを変えた達也さん・梓さん夫妻。

働き盛りの年齢だからといって、仕事に邁進する必要はないと思います。
一方で幼少期の子育ても、いましかないのでしょう。
仕事を休んで、子育てに専念するのも一つの選択肢です。

世間の「こうあるべき」に縛られず、それぞれの家族に合ったかたちで、ありたい姿に向かっていくことが大切だと感じました。

(写真:福岡家より提供いただきました)
(取材日:2020年6月)

最終更新日:2020年8月1日
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