うふふな夫婦01
夫婦で働くことは、人生すべてを共有すること。
島根県で「宮内舎」を起業した小倉健太郎さん・
綾子さんの日常をのぞいてみました。
小倉健太郎さん
1989年、島根県松江市生まれ。大学進学のため上京。在学時に環境問題や持続可能な社会に興味を持ち、海外にて人々の暮らし方を遊学。京都での豆腐店勤務を経て、帰郷。合同会社「宮内舎」を設立し、雲南市を拠点に“農”を基盤とする暮らし・仕事づくりを行なっている。「うふふ」ご意見番の正也とは大学時代からの友人。
小倉綾子さん
1985年、島根県雲南市生まれ。酪農を営む家に生まれ育つ。大学在学時よりフェアトレードやコミュニティトレードを行う活動に勤しむ。旅館の女将を経て、中医薬膳や菜食料理を学んだ後に帰郷。合同会社「宮内舎」の名付け親。会社の運営や夫の意識改革を行なっている。

雪の積もる2月の終わりに、島根県の雲南市を訪れました。
この地で「宮内舎(みやうちや)」を起業した小倉健太郎さん・綾子さん夫妻。
夫婦で働くって、どんな日常なのでしょう?

島根県の出雲空港から、車で40分ほど。どんどん山のなかへ入っていく。ときどき見える家々は、赤い瓦屋根が並んでいる。田んぼ道を通り、丘を上って、今回の目的地に到着。ここが、「宮内舎」の事務所。

「宮内舎」は、無農薬・減農薬で育てられた地域のお米を使った麺やホットケーキの粉などの商品をつくり、販売しています。特に起業のきっかけにもなった「玄米麺」はモチモチでどんな味付けにも合い、小麦アレルギーの人でも食べられると人気の商品です。

二人はなぜ「宮内舎」を起業することになったのか、まずはふたりの出会いから振り返ります。

宮内舎のはじまり

二人が初めて会ったのは、2013年の年末。健太郎さんは島根県独自の定住政策を利用して島根県雲南市に赴任し、空き家をリノベーションした飲食・宿泊施設「佐世だんだん工房」の運営を担当していました。そこにUターンで大阪から帰ってきたのが、綾子さん。健太郎さんに誘われ、綾子さんも同じ制度を利用して一緒に事業をやることに。

最初の3か月ほどは、お互いに敬語を使って、すこし距離があったとか。それが、健太郎さんの友人が遊びにきたことで一転します。みんなでお酒を飲んだり喋ったりするうちに二人の間にあった壁は壊れいき、その後付き合うことになったそう。

玄米麺をつくりはじめたのもその頃でした。事の始まりは、綾子さんが小麦アレルギーだったこと。小麦はパンやうどん、パスタなど、さまざまなものに使われているため、食べられるものの選択肢が狭まってしまう。そこで、玄米を使った麺をつくりはじめたのでした。


玄米麺はパスタやうどん、ラーメンなど、さまざまな楽しみ方があります。

もうひとつの理由は「とにかく2年後、田舎で自立するためだった」と綾子さん。

綾子さん 任期が2年間だったので、そのあともこの地域で自立できるように何かビジネスを立ち上げたいと思っていました。

試行錯誤を重ねていたある日、ミシュランにも選ばれたラーメン店「ソラノイロ」代表の宮崎千尋さんが訪問します。

綾子さん 宮崎さんのブログで考え方とか経営方針とかを読んでいいなと思っていて、「玄米麺をつくっているので一度食べてもらえませんか」と連絡したら、すぐに来てくれて。さらに「店で玄米麺を使いたい」と言ってくれたんです。

それまで店舗に卸したことのなかった二人は、宮崎さんといっしょに卸値や価格を考えるところからはじめて、気づけばビジネスがはじまっていたのだそう。

そうこうするうちに、2015年の秋、健太郎さんの任期が終了。「その後どうしようかなと悩んでいた」と健太郎さん。

健太郎さん そのときはまだ玄米麺の仕事で食べていけるとは思っていなかったけど、少しずつ取引先が増えて、商品の発送とかでバタバタしはじめて、とりあえずやってみようと思いました。

翌年の春には綾子さんの任期が終わり、「次なる形を決めなくちゃ」と、2016年4月に「宮内舎」を設立。私は、社名を決めたときのエピソードが印象的でした。

綾子さん 車を運転しながら「会社にするから名前を決めないとね」と健ちゃんと話していたときに、家までの坂道を上って、実家の牛舎が見えて…そういう風景を見ながら「“宮内舎”ってよくない?」って思いついたんです。

ここは「宮内」っていう地域で、地域に愛されるといいなという思いと、お父さんの牛舎の「舎」を残したいなとう思いが合わさって。健ちゃんも「いいね」って言ってくれて、「漢字にする?英語にする?」って書き出して、すぐに決まりました。

「宮内舎」の事務所から見える、田んぼや山々の景色を眺めていると、そのときの様子が目に浮かんできます。


宮内舎からの景色。段々になっている田んぼ、その奥には山々が広がります。


綾子さんの実家は酪農家で、実家の隣に牛舎があります。

こうして予算や事業計画もよくわからないままスタートしたという「宮内舎」。徐々に卸先や商品数も増えていき、2年が過ぎたある日、二人は東京で自然食品などを扱うグローサリーストア「FOOD&COMPANY」へ営業で訪れます。

綾子さん FOOD&COMPANY代表の谷田部さんが「すばらしい商品だから一緒にやりましょう」と言ってくれて、そのときに第1章が終わったというか、第2章の幕開けだって思ったんです。

それまで生産や加工は地元のひとたちと一緒にがんばってきたけど、販売はまだ力が足りなかったなかで、生産から販売まで一体化した感じがして。第2章も気合い入れていこう!みたいな気持ちになりました。

健太郎さん そういう瞬間に一緒にいられると、夫婦でこの仕事をやっていてよかったなと思います。一番うれしかったことを共有できるのはいいよね。仕事は二人の表現物であって、それが認められたときに居合わせられるのはすごくいいです。

確かに「今日こういうことがあった」と言葉で伝えるよりも、同じ体験を一緒にできることは、共感の度合いがまったく異なります。それは仕事以外でも、多くの時間を共有しているからこそ、共感度が高まっているのかもしれません。ふたりを見ていると、以心伝心のちからが強そうです。

夫婦で働く日常

朝、一緒に車で出社して、夕方にまた一緒に帰宅する。24時間、ほとんどずっと一緒にいるというふたり。家でも仕事の話が出たり、事務所で仕事と関係ない話をしたり。ミーティングの時間は特に設けず、話す事柄が出てきたタイミングで話し合うのだとか。

健太郎さん 事業自体もそんなに詰めすぎていないから、目標数値を定めてそれに向かっていくという感じではないので、定期的なミーティングが必要ないですね。

綾子さん 目標達成も感覚的だよね。「うちらの第1章終わったね」とか。

健太郎さん そういう感覚っていうのは一緒にいるから共有しやすいです。過信でもあるけど、なんとなく伝わっているかなと思います。一緒に仕事以外のこともするけど、すべて事業につながっていると思っています。たとえば音楽とかコーヒーとかも、共有することで意図せず仕事に反映されています。

綾子さん おかげで心情の変化を逐一共有できますね。夫婦でも一人の人と深く関わりあえることってなかなかないだろうし、まるごとすべて、私の知らない私さえも味わってくれているのかなと思います。

健太郎さん 圧倒的に一緒にいる時間が長いもんね。一人の人とこんなに一緒にいることは後にも先にもないだろうし、そういう人生を味わえるのはいいよね。

一方で「新婚旅行くらいは一人で行きたい」と、新婚旅行は別々にそれぞれが行きたい国へ行ったのだとか。それも、常にいっしょにいるからゆえ…?


裏山でフキノトウを収穫する健太郎さん。このあと綾子さんが調理してくれました。

ふたりは起業した8か月後の2016年12月に入籍。結婚してから、仕事をするうえでなにか変化はあったのでしょうか?

健太郎さん 役割分担がはっきりしてきた気がします。綾ちゃんは経理とかの事務方、私は外に行って営業とか。

綾子さん 前はそれぞれ営業に出ていた時期もあったね。そのときは私は「一人の起業家としてがんばらないと」という気負いがあったんだけど、最近になって全部手放しました。できないことはやらない。やりたくないことはやらない。そういうふうに手放したんです。

今は二人でひとつみたいな感じで、お互いに足りない部分をフォローしあっています。健ちゃんと結婚して、やっと一人前のひとになった感じ。それまで私は半分だったな、と気づきました。半分なのに女性としてバリバリ働くことを求められていて苦しかったけど、今は半分でいい。そう思えるようになりました。

健太郎さん 夫婦って、わかりやすいユニットというかチームみたいなものだと思っていて。僕らは事業をやっているからかもしれないけど、世間からも認証されていて、協力関係を築きながら生き延びる、最大にして最小のチームだよね。

綾子さん 私は結婚して自分の人格が変わった気がします。さっきも言ったけど、前は男性性を出して甘く見られないように成功とか目指していたけど、夫婦ってなってから肩の力が抜けて、自分のなかの男性性を出していかなくていいんだって安心しました。やっと素の自分が見えて世界がまわりはじめた気がする。

最初は、夫婦で働くとケンカとか増えるのでは?なんて思っていましたが、夫婦で仕事も日常生活もともに過ごすことで、人生すべてを共有できる唯一無二のパートナーになっていくのだと思いました。

いま、宮内舎は新たに仲間を迎え、第2章を歩んでいます。

 

(写真:藤原慎也、宮内舎)
(取材日:2018年2月)

最終更新日:2019年7月22日
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